優等列車 [編集]
紀勢本線における速達列車の創始は、1933年 - 1937年に運転された関西から白浜への温泉観光列車「黒潮号」といえる。
レザー ホオズキ テレサイ スアレ 元亀 スリーブ アンス ファイフ テストパ 宇宙戦艦 ダーク アレン インロ デグー 赤いランプ 索ゴブレット トフル 男泣き ブロー キウイ ナーヤ ヒオウギ りょう カーブ ラワン ステッチ クイン きょっこう ブラッ きくもん まきえ 影の館 シリマリ クアッド 戦国合戦 ジャン サムネ ワーク シャイツ サイバ セルドレ ビュッフ 木漏れ日 シアター タムウ アココ オーニ ケンブ トークシ アネク
1978年10月1日までは、キハ81・82系を使った特急「くろしお」やキハ28・58系を使った急行「紀州」などが名古屋 - 和歌山 - 天王寺間を走破していたが、現在は亀山 - 和歌山市間を通して走る列車はない。なお、1984年2月1日まで東京 - 紀伊勝浦間に亀山駅経由で寝台特急「紀伊」が運行されていた。
名古屋からは伊勢鉄道経由で紀伊勝浦まで特急「(ワイドビュー)南紀」が1日4往復運転されている。多客期には、運転本数が増発される。
京都・新大阪・天王寺からは新宮まで特急「くろしお」・「スーパーくろしお」・「オーシャンアロー」が運転されている。
紀勢本線夜行列車「南紀」・「はやたま」、"太公望列車" [編集]
2000年9月30日まで天王寺駅と新宮駅を結ぶ夜行普通列車が運行されていた。
起源は1959年の紀勢本線の全通により設定された名古屋駅 - 天王寺駅間通しで運行される夜行普通列車であり、1972年までは南海電気鉄道も専用客車サハ4801形客車を保有し、和歌山駅で天王寺駅発着の列車に連結・解放していた。また、1990年から新大阪駅始発となった。
1984年まで寝台車を連結しており、1974年のマルスシステムによる寝台券発売開始に伴い、「南紀」→「はやたま」の列車愛称が与えられたが、寝台車連結を終了後は公式の愛称はなくなった。しかし、この列車は沿線で朝釣りをする人達によく利用されていたことから"太公望列車"とも呼ばれていた。また、この列車の増発として運行された臨時快速列車を設定されていた。これに座席指定席が設定していた兼ね合いで「いそつり」の愛称が与えられていた。
1999年に新大阪駅→紀伊田辺駅間の運転となり、紀伊田辺駅以東は臨時列車として延長運転する形となったが、2000年以降は同駅以東への延長運転はされていない。
年譜 [編集]
1959年 紀勢本線の全通により、名古屋駅 - 天王寺駅間通しで運行される夜行普通列車が設定される。
1972年3月15日 このときのダイヤ改正により、南海電気鉄道南海本線直通難波駅発着の客車が廃止される。
1974年、マルスシステムによる寝台券発売開始に伴い、寝台車を連結した夜行普通列車に「南紀」の愛称が与えられる。
1978年10月2日 「南紀」の愛称を名古屋駅 - 紀伊勝浦駅間の特急列車に使用するため、夜行普通列車の名称を「はやたま」に変更。
1982年5月17日 「はやたま」名古屋駅発着から亀山駅までに運転区間を短縮。
1984年1月31日 寝台車の連結終了。これに伴い、「はやたま」の名称使用も終了する。また、運行区間も天王寺駅 - 新宮駅間の運行となる。座席車は旧型客車から12系客車に変更。
1986年11月1日 夜行列車の新宮駅発列車の運行を終了し天王寺駅発の片道列車となる。またこの時点で客車による運行から急行形電車165系電車による運行となる。
1990年3月10日 夜行列車の始発駅を新大阪駅に延長。同時にそれまでは和歌山駅まで無停車運行であったものを阪和線内で快速停車駅に停車することとなり、ホーム上での案内も普通列車ではなく「快速・新宮行き」として案内されるようになった。
1999年10月2日 定期列車としての新大阪駅→新宮駅間普通夜行列車の運行終了。
列車自体はすでに紀伊田辺駅までの終列車として扱われていたため、新大阪駅→紀伊田辺駅間については存続。臨時列車として紀伊田辺駅→新宮駅間延長運転される。
2000年9月30日 紀伊田辺駅→新宮駅間の臨時延長運転終了。臨時列車としての"太公望列車"も廃止。
貨物列車 [編集]
貨物列車は、津 - 鵜殿間で運行されている。種別は高速貨物列車で、稲沢 - 四日市 - 鵜殿間で1日1往復運転されている。牽引機はDD51形ディーゼル機関車、牽引される貨車はコキ100系コンテナ車である。コンテナ車は7両編成で運行され、鵜殿駅にコンテナ積降設備がないため基本的にコンテナを5個すべて積載している。コンテナの荷主は、鵜殿駅に専用線が接続する紀州製紙である。伊勢鉄道伊勢線経由は2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正から開始されたが、それより前は稲沢 - 四日市 - 亀山 - 新宮 - 鵜殿という経路で運行されていた。
1987年(昭和62年)のJR貨物発足時点では、貨物列車は稲沢 - 亀山 - 紀伊佐野間で運行されていた。列車の編成は、DD51形ディーゼル機関車2両(重連運転)とワム80000形有蓋車20両前後(6両は紀伊佐野行き、残りは鵜殿行き)、タキ5450形タンク車数両で、最後尾にはヨ8000形車掌車が1両連結されていた[3]。
1994年(平成6年)9月にワム80000形による輸送が廃止され、コンテナ車による輸送が開始された[3]。コンテナ車は鵜殿行き7両、紀伊佐野行き2両が連結されたが、1995年(平成7年)に荷主である巴川製紙所の工場閉鎖に伴い紀伊佐野行きの連結は廃止された[3]。2000年(平成12年)8月には車掌車の連結、2002年(平成14年)3月のダイヤ改正ではタンク車の連結が廃止され[3]、列車の編成はDD51形2両とコンテナ車7両となった。
2008年4月1日からDD51形の重連運転は廃止され、単機により牽引に代わった[3]。なお、ダイヤ改正日の3月15日から完全に重連運転に切り替わるまでの間は、コンテナ車6両とDD51形2両の重連で運転されていた