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近世には簡易な装飾として普及していた

近世には簡易な装飾として普及していた。江戸時代の絵巻物などにはしばしば白地に赤丸の扇が見られるようになっており、特に狩野派なども赤い旭日の表現を多用するようになり、江戸時代の後半には縁起物の定番として認識されるに到っていた。
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一方、船印としては、薩摩藩に服属していた琉球王国が中国への進貢船に日章旗を用いており、これは当時の絵図からも確認することができる[5]。進貢船の派遣自体は14世紀まで遡るが、日の丸を掲げるようになったのがいつからかは定かではない。しかし19世紀初頭の屏風絵[5]にははっきりと描かれている。他にもハーリーで用いられる爬竜船の船尾部にも日の丸の幟が掲げられていた[5]。

ちなみに日の丸(日輪)は、琉球でも太陽神(テダガミ)の象徴として、船印だけでなく首里王府が建てる石碑(玉陵の碑文など)にも刻まれていた。琉球では、古くから太陽神が信仰されており、進貢船の日の丸も航海の無事を太陽神に祈る意味で使用されたものである[6]。

近世における船旗関連の資料としては、1635年(寛永12年)に江戸幕府が建造した史上最大の安宅船「天下丸」(通称「安宅丸」)で「日の丸」の幟が使用されているのが知られている[7]。東京国立博物館が所蔵する『御船図』(江戸時代・19世紀作)にも安宅丸が描かれており、船尾に複数の日の丸の幟が描かれている。江戸幕府の所持船の船印として、一般には徳川氏の家紋「丸に三つ葉葵」を用いたが、将軍家の所持船には日の丸を用いることもあった。

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2009年06月10日 11:01に投稿されたエントリーのページです。

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